漢文句法

⑦否定・禁止(全部否定・部分否定)

漢字 読み
常不 つねニ~ず いつも~ない
不常 つねニハ~ず いつも~とは限らない
必不 かならズ~ず 必ず~ない
不必 かならズシモ~ず 必ずしも~とは限らない
復不 タ~ず 今度もまた~ない
不復 二度と~ない
尽不 ことごとク~ず 全て~ない
不尽 ことごとクハ~ず 全ては~ない
倶不 ともニ~ず 両方とも~ない
不倶 ともニハ~ず 両方ともには~ない
同不 ともニ~ず 同様に~ない
不同 ともニハ~ず 同様には~ない
甚不
(太不)
はなはダ~ず 非常に~ない
不甚
(不太)
はなはダシクハ~ず ~ない
未必 いまかならズシモ~ず 必ずしも~とは限らない
何必 なんかならズシモ~ン ・どうして必ず~だろうか、いや必ずしも~とは限らない
・どうして~する必要があるだろうか、いや必ずしも~する必要はない
豈必 かならズシモ~ンヤ

※以下、原文中の は置き字
千里馬常有、伯楽不常。《韓愈・雑説》
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず
一日に千里を走る名馬はいつもいるが、馬を見分ける名人はいつもいるとは限らない
家貧不常得油。《晋書・蛍雪の功》
家貧にして常には油を得ず。
家が貧しく、いつも油が手に入るとは限らなかった
天地。而況於人乎。《韓非子》
天地すら常には侈り常には費やす能はず。而るを況んや人に於いてをや。
大自然であっても、いつもぜいたくし、いつも浪費することはできない。まして人間ならなおさらである。
大尹常不以其欲称君命以令。《春秋左氏伝》
大尹常に告げずして其の欲するところを以て君命と称して以て令す。
(上がってくる報告を君主に取り次ぐのが大尹の役目だが、)大尹はいつも君主に報告せず、自分が望む事を君主の指図だとして命令した。
簡子毎聴朝、常不。《史記》
簡子朝を聴く毎に、常に悦ばず
簡子は朝廷に出て政治を聴くたびに、いつも喜ばなかった
以智説愚、必不。《韓非子》
智を以て愚に説けば、必ず聴かれず
智者が愚者に説いたとしたら、必ず受け入れられない
義帝必不能堪。《蘇軾・范増論》
義帝必ず堪ふる能はざらん
義帝はきっと我慢できないだろう
仁者必有勇。勇者不必有仁。」《論語》
仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず
仁者には必ず勇気がある。勇者は必ずしも仁の心があるとは限らない。」
不必賢於弟子。《韓愈・師説》
師は必ずしも弟子より賢ならず
師は必ずしも弟子より賢いとは限らない
上曰、「地必不可得。《十八史略》
上曰、「地は必ず得べからざらん
皇帝が言うには、「領土は(一旦失うと)きっと取り戻すことは出来ないだろう
。《孟子》
必ずしも得べからず
(そういう人物を得たいと望んでも)必ずしも得られるとは限らない
孟子曰、「大人者、言不必。行不必。《孟子》
孟子曰はく、「大人なる者は、言必ずしも信あらず。行ひ必ずしも果ならず
孟子が言うには、「有徳の人は、発言を必ず最後まで守り貫くとは限らず、行動を最後までやり遂げるとは限らない
人臣之情、非必能愛其君也。《韓非子》
人臣の情、必ずしも能く其君を愛するに非ざるなり
臣下の実情としては、必ずしも主君を愛することができるとは限らないのである
黄鶴一去不復《黄鶴楼》
黄鶴一たび去りて復た返らず
黄色い鶴はいったん飛び立つと、二度と戻らない
伯牙破琴絶弦終身不復鼓琴。《知音》
伯牙琴を破り弦を絶ち、終身復た琴を鼓せず
伯牙は琴を壊し弦を切り、生涯で二度と琴を弾かなかった
来此絶境、不復出焉。《陶淵明・桃花源記》
此の絶境に来たり、復た出でず
外界と隔絶したこの土地にやって来て、以来二度と外界に出なかった
遂迷不復得路。《陶淵明・桃花源記》
遂に迷ひて復た路を得ず
結局迷ってしまい、二度と道を見つけることができなかった
遂去不復与言《漁父辞》
遂に去りて復た与に言はず
とうとう漁師は去ってしまい、二度と一緒に話をすることは無かった
自是一県無復盗窃。《梁上君子》
是より一県に復た盗窃無し
これ以降、この県において二度と泥棒は出なかった
寡人戦矣。」《韓非子》
寡人与に復た戦ふ無し。」と。
私はもう一緒に戦うことは無い。」と。
始皇謝曰、「已矣。将軍勿復。」《史記》
始皇謝して曰はく、「已めよ。将軍復た言ふ勿かれ。」と。
始皇帝が将軍に謝って言うには、「話を止めてくれ。将軍は二度と言ってはならない。」と。
破国不可復完、死卒。《戦国策》
破国は復た完すべからず、死卒は復た生かすべからず
壊れた国は二度と完全な状態にすることはできず、死んだ兵士は二度と生き返らせることはできない
問其左右、尽不知也。《韓非子》
其の左右に問ふも、尽く知らざるなり
(紂王は暦を忘れたので)側近に尋ねたところ、皆が知らなかった
察士然後能知之、不可以為令。夫民不尽。賢者然後能行之、不可以為法。夫民不尽。《韓非子》
察士にして然る後に能く之を知るは、以て令と為すべからず。夫れ民は尽くは察ならず。賢者にして然る後に能く之を行ふは、以て法と為すべからず。夫れ民は尽くは賢ならず
洞察力のある人物であってようやく理解できるようなことを、命令としてはいけない。そもそも民衆はみなが洞察力があるわけではない。賢者であって初めて実行できるようなことを、法律としてはいけない。そもそも民衆はみなが賢明なわけではない
不尽知用兵之害者、則知用兵之利也。《孫子》
故に尽くは用兵の害を知らざる者は、則ち尽くは用兵の利を知る能はざるなり
だから、武力を用いる欠点について全ては理解していない者は、その場合武力を用いることの利点についても全ては理解できないのである
当時不尽知也。《世説新語》
当時尽くは知らざるなり
(司馬愍王が殺されたことを)その当時の皆が知ったわけではない
篭鳥檻猿倶未。《白居易・与微之書》
篭鳥檻猿倶に未だ死せず
かごの中の鳥も、おりの中の猿も、両方ともまだ死んでいない
今両虎共闘、其勢不倶。《刎頚之交》
今両虎共に闘はば、其の勢ひ倶には生きざらん
今もし二頭の虎が戦えば、その成り行きとして両方ともは生きていられないだろう
猶恐清光不同江陵卑湿足秋陰《白居易・八月十五夜禁中独直対月憶元九》
猶ほ恐る清光同には見ざるを。江陵は卑湿秋陰足る
やはり気がかりだ、この澄んで美しい月光を君が同様には見ていないのかと。君がいる江陵の地は低湿で、秋は曇りの日が多いというから。
則是子議父、臣議君也。甚無。《十八史略》
則ち是れ子父を議し、臣君を議するなり。甚だ謂無し
その場合子が父を評定し、臣下が主君を評定することになってしまう。これは非常に正当性が無いことだ。
不甚礼子楚。《史記》
甚だしくは子楚を礼せず
趙国は、子楚をそれほどもてなさなかった
今子兄弟二十余人。子又居中、不甚見幸、久質諸侯。《史記》
今子の兄弟二十余人。子は又中に居り、甚だしくは幸せられず、久しく諸侯に質たり。
今、あなたには兄弟が二十数人いる。またあなたは長男でなく中位の順番であり、それほどかわいがられず、長い間他国の諸侯に人質として出されている。
忌数与斉諸公子馳逐重射。孫子見下其馬足不甚相遠、馬有中上中下輩上。《史記》
忌数斉の諸公子と馳逐重射す。孫子其の馬足の甚だしくは相遠からず、馬に上中下の輩有るを見る。
田忌はしばしば斉の公子たちと競馬をした。(田忌の客である)孫子は馬の脚力にそれほど違いは無いが、馬に上中下の速さの優劣があるのを見て取った。
賈素驕貴。……不甚。《史記》
賈素驕貴なり。……甚だしくは急がず
荘賈は元々おごり高ぶった人物である。(約束に遅れそうになっても)それほど急がなかった
不善之人、未必本悪。《梁上君子》
不善の人、未だ必ずしも本悪ならず
善くない行いをする人も、必ずしも元々悪だったわけではない
故度量雖正、未必聴也。義理雖全、未必用也。《韓非子》
故に度量正しと雖も、未だ必ずしも聴かれざるなり。義理全しと雖も、未だ必ずしも用ゐられざるなり
だから話の内容がものさしに沿って正しいとしても、必ずしも聞き入れられるとは限らず、道理の正しさが完全に備わっていたとしても、必ずしも採用されるとは限らないのである。
「平雖美如冠玉、其中未必有也。《十八史略》
「平は美なること冠玉のごとしと雖も、其の中未だ必ずしも有らざるなり
「陳平という人間は、見かけの立派さは冠の宝石の様であるが、中身は必ずしも備わっていない
知也。《韓非子》
未だ必ずしも知るべからざるなり
必ずしも知ることができるわけではない
孟子対曰、「王何必曰利。《孟子》
孟子対へて曰はく、「王何ぞ必ずしも利と曰はん
孟子が、(利益を欲しがる恵王に)お答えして言うには、「王は、どうして利益の事を言う必要があるだろうか。いやその必要はありません
「此陛下家事。何必更問外人。」《十八史略》
「此れ陛下の家事なり。何ぞ必ずしも更に外人に問はん。」と。
(皇帝からの相談に答えて)「これは陛下の家庭内の話です。どうして他人に尋ねる必要があるでしょうか。いやありません。」と。
枉道而事人、何必去父母之邦。《論語》
道を枉げて人に事ふれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん
正しい在り方を曲げて人に仕えるのでよければ、どうして生まれ育ったこの国を離れる必要があるだろうか。いや無い
落地為兄弟、何必骨肉親。《陶潜・雑詩》
地に落ちて兄弟と為るは、何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
この世に生を受けて兄弟のように馴れ親しむのは、どうして血を分けた親族だけであろうか。いやそうとは限らない
子曰、「何必高宗。古之人皆然。《論語》
子曰はく、「何ぞ必ずしも高宗のみならん。古の人皆然り。
孔子先生が言うには、「どうして高宗に限る必要があるだろうか。いや昔の人は皆そうだったのだ。
曰、「今之成人者、何必。《論語》
曰はく、「今の成人は、何ぞ必ずしも然らん。」
孔子先生が言うには、「(昔の完成された人物とはその様だったのだろうが、)どうして今の完成された人物がそうである必要があるだろうか、いや無い
豈必待陳平哉。《蘇軾・范増論》
豈に必ずしも陳平を待たんや
どうして陳平を待つ必要があるだろうか、いや無い