古典文法・助動詞
⑥む、むず、じ
文法的意味
意味の見分け方
適当 (行くのがよい)
婉曲 (降るような時に)
◎「推量」の用例
此の獅子の立ち様、いと珍し。深き故有らん。」と涙ぐみて《徒然》
この獅子の立ち方は、大変珍しい。深い理由があるのだろう。」と涙ぐんで
千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。《徒然》
たとえ千年を過ごすとしても、一夜の夢のような気持ちがするだろう。
強意の係助詞「こそ」との係り結びで已然形「め」となっている。
此れを待つ間、何の楽しびか有らむ。《徒然》
この老いと死が来るのを待つ間、何の楽しみがあるだろうか。いや無い。
「む」は反語の係助詞「か」と係り結びになっていて連体形。
◎「意志」の用例
「我登りて探らむ。」と宣給ひて、《竹取》
(誰も役立ちそうにないので、中納言は)「私が自分で天井に登って探そう。」とおっしゃって
「我」という一人称主語であり、「む」は意志でとるのがよい。
「御迎へに来む人をば、長き爪して眼をつかみ潰さむ。《竹取》
「かぐや姫を迎えに来る人がいたら、そいつの眼を長い爪でつかみつぶそう。
主語は明記されていないが、「私が~しよう」という一人称主語の文脈であり、「む」を意志でとるのがよい。
「燕、子産まむとする時は、尾をささげて《竹取》
「燕が子を産もうとする時は、尾羽を持ち上げて
一人称主語ではないが、「意志」で解釈するのが自然な例。
◎「勧誘・適当」の用例
法師は人に疎くてありなむ。《徒然》
僧たる者は、俗世間の人とは疎遠であるのがよい。
主語は二人称ではないが、「適当」 で解釈するとうまくいく例。「な」は強意(完了)の助動詞「ぬ」の未然形。
我が身のやむごとなからむにも、まして数ならざらむにも、子といふもの無くてありなむ。《徒然》
自分自身が高貴な身分であっても、まして取るに足りない身分であっても、子どもなどというものは、いないのがよい。
二人称主語ではないが、「適当」 で解釈するとうまくいく例。「な」は強意(完了)の助動詞「ぬ」の未然形。
己れは此の度 罷り外れなば、いみじう辛かるべき事にてなむ侍るべきを、退かせ給ひなむや。」と申し給ひければ、《大鏡》
私は今回の人事に漏れましたら非常につらいことですから、どうかあなたは辞退なさりませんか。」と申しなさったところ、
主語は明示されていないが文脈では「あなたは」と二人称主語になり、「勧誘」でとるとうまくいく例。「なむや」は「勧誘・適当」によくある形で「な」は強意(完了)の助動詞「ぬ」の未然形。「や」は疑問の係助詞。
忍びては参り給ひなんや。《源氏・桐壺》
こっそりと、宮中に参上なさいませんか。
主語は明示されていないが文脈では「あなたは」と二人称主語になり、「勧誘」でとるとうまくいく例。「なんや(なむや)」は「勧誘・適当」によくある形で「な」は強意(完了)の助動詞「ぬ」の未然形。「ん」は 「む」が変化した形。「や」は疑問の係助詞。
「袖と袂と一首の内に悪しかりなんや。」と定家卿に尋ね仰せられたるに《徒然》
(後鳥羽院が)「袖と袂の二語を一首の歌の中に入れるのは下手(まずい)だろうか。」と藤原定家卿にお尋ねになられたところ
二人称主語ではなく、「勧誘・適当」で訳すとうまくいかない。「なんや」の「な」は完了(強意)の助動詞「ぬ」の未然形。「ん」は「む」の変化。「や」は疑問の係助詞。
「又 返さの車飛ばし騒がむに、我らは生きてはありなんや。《今昔》
「また帰りの牛車をがたがた急がせるとしたら、(きつい車酔いのせいで)我々は生きていられるだろうか、いやきっと生きてはいられないだろう。
主語は「我らは」という一人称で、「勧誘・適当」ではない。「なんや(なむや)」の 「な」は完了(強意)の助動詞「ぬ」の未然形。「ん」は「む」が変化した形。「や」は反語の係助詞。
此の車にてまた帰らば、我らが命は有りなんや。《今昔》
この牛車でまた帰るならば、(きつい車酔いのせいで)我らの命はあるだろうか、いやきっと無いだろう。
主語は「命は」という三人称で、「勧誘・適当」ではない。「なんや(なむや)の「な」は完了(強意)の助動詞「ぬ」の未然形。「ん」は「む」が変化したもの。「や」は反語の係助詞。
心付き無き事あらむ折は、なかなかその由をも言ひてむ。《徒然》
気に入らないことがあるときは、それをかくすよりも、かえってそのことを言うのが良い。
「て」は完了(強意)の助動詞「つ」の未然形。また「てむ」は「勧誘・適当」でよく見る形。
如何にぞ早、 落忌をこそし給ひてめ。《蜻蛉》
どうですか、(あなたも)早く精進落しをなさるのがよい(なさいませんか)。
主語は明記されていないが、文脈上は二人称主語であり、「勧誘・適当」で解釈するとうまくいく形。「てめ」の「て」は完了(強意)の助動詞「つ」の未然形。「め」は驚異の係助詞「こそ」の係り結びで已然形。「こそ~め」は「勧誘・適当」でよく見る形。
此の鳥羽の田や米などには替へてんや。《宇治拾遺》
(その馬と、)この鳥羽の地の田や米などと交換しませんか。
「てんや(てむや)」の「て」は強意(完了)の助動詞「つ」の未然形。「ん」は「む」が変化したもの。「や」は疑問の係助詞。
(竹取の翁が、かぐや姫に)「…翁の申さむ事は聞き給ひてむや。」と言へば、《竹取》
「…この私が申し上げる事を、聞いてくださいませんか。」と言ったところ、
「て」は完了(強意)の助動詞「つ」の未然形。「や」は疑問の係助詞。主語は明示されていないが、文脈上「あなたは」と二人称主語になり、「勧誘」で解釈するとうまくいく。
「彼の在りし中納言の子は得させてむや。らうたげに見えしを。身近く使ふ人にせむ。《源氏・箒木》
「あのこないだの故中納言の子は、私に預けてくれませんか。かわいらしく見えたことだ。私の身近で使う者としたい。
「て」は完了(強意)の助動詞「つ」の未然形。「や」は疑問の係助詞。主語は明示されていないが、文脈上「あなたは」と二人称主語になり、「勧誘」で解釈するとうまくいく。
帝「さて何も書きたらん物は読みてんや。」と仰せられければ、《源氏・箒木》
帝が「それでは何であっても書いてある物なら、お前はきっと読めるのだろうか。」とおっしゃられたところ
「て」は完了(強意)の助動詞「つ」の未然形。「や」は疑問の係助詞。
腕をば捻ぢて腹胸を踏まんに、己は生きてんや。《宇治拾遺》
お前の腕をねじって腹と胸を踏みつけたら、お前は生きているだろうか、いやきっと生きてはいないだろう。
「て」は完了(強意)の助動詞「つ」の未然形。「ん」は「む」が変化したもの。「や」は疑問の係助詞。
御使の少将急ぎ給ふに、「などかくは急ぎ給ふ。花を見てこそ帰り給はめ。」とて《宇津保》
使者の少将が早く宮中に帰ろうとなさると、兼雅は「どうしてそのようにお急ぎになるのか。桜の花を見た後でお帰りになりませんか(帰りなさるのがよい)。」と言って
「め」は強意の係助詞「こそ」と係り結びになっているので已然形。主語は明示されていないが文脈上「あなたは」と二人称主語で、「勧誘・適当」でとるとうまくいく。「こそ~め」は「勧誘・適当」でよくある形。
ししこらかしつる時はうたて侍るを、疾くこそ試みさせ給はめ。」など聞こゆれば、《源氏・若紫》
病気をこじらせてしまうと厄介でございますから、(その行者の祈祷を)早くお試しになるのがよい(お試しなさいませんか)。」などと申し上げるので、
「め」は強意の係助詞「こそ」と係り結びなので已然形。主語は明示されていないが文脈上「あなたは」と二人称主語であり、「勧誘・適当」でとるとうまくいく。「こそ~め」も「勧誘・適当」でよくある形。
「斯様の物をば、其の用意をしてこそ射給はめ。」と言ひければ、《今昔》
「この様な動く物に対しては、それ相応の心構えをして射なさるのがよい。
「め」は強意の係助詞「こそ」と係り結びで已然形。主語は明示されていないが文脈上「あなたは」と二人称主語であり、「適当」でとるとうまくいく。「こそ~め」も「勧誘・適当」でよくある形。
「出でさせ給ふは何方ぞ。…召し使はせ給はんと思し召さん限りは、召してこそ使はせ給はめ。《和泉式部》
(夜中に出かける親王を見とがめた乳母が)「お出かけになるのはどちらか。…その者を使役なさろうとお考えになるのなら、(あなた様が出向くのではなく、)その者を呼び寄せてお使いになるのがよい(お使いになりませんか)。
「め」は強意の係助詞「こそ」と係り結びなので已然形。主語は明示されていないが文脈上「あなたは」と二人称主語であり、「勧誘・適当」でとるとうまくいく。「こそ~め」も「勧誘・適当」でよくある形。
◎「仮定・婉曲」の用例
椎柴、白樫などの濡れたる様なる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらむ友もがな、と都 恋しう覚ゆれ。《徒然》
椎や白樫などの、まるで濡れたように艶のある葉の上に、月の光がきらきら輝いている様子は、しみじみ趣深く感じられて、物の情趣を解するような友人が近くにいればなあと、都が恋しく思われる。
「ん(む)+名詞」で、「仮定・婉曲」の形。ここでは「婉曲」で訳したが、「もし物の情趣を解するなら、そのような友がほしいなあ」と「仮定」で訳すこともできる。「ん」は「む」が変化した形。
「衣の用有らん時は、参りて申せ。《宇治拾遺》
「衣類の必要があるような時は(もしあるなら、その時は)、ここに参上してそう申せ。
「ん(む)+名詞」で、「仮定・婉曲」の形。仮定・婉曲どちらでも訳すことができる。
佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。我と思はん人々は、高綱に組めや。」とて、をめいて《平家》
私は佐々木四郎高綱、宇治川の先陣である。自分こそは優れていると思うような人々は(自分こそは優れているともし思うなら、その人々は)、この高綱と勝負せよ。」と言って、叫びながら突進する。
「ん(む)+名詞」で、「仮定・婉曲」の形。仮定・婉曲どちらでも訳すことができる。
宝の山に入りて、手を空しくして帰りたらむ心地ぞする。《今昔》
宝の山に入って、何も取らず手ぶらで帰ったような気持ちがする。
「む+名詞」で「婉曲」でとるとよい。。
「龍の首に五色に光る玉あなり。其れ取りて奉らむ人には、願はむ事を叶へむ。」とのたまふ。《竹取》
「龍の首には五色に光る玉があるという。それを取って献上するような人には(もし献上するなら、その人には)、願うことをかなえよう。」とおっしゃる。
「む+名詞」で、「仮定・婉曲」。仮定・婉曲どちらでも訳すことができる。
「若し射外しぬるものならば、汝が欲しく思はん物を所望に従ひて与ふべし。」と定めて《古今著聞集》
「もし俺が矢を射外したならば、お前が欲しいと思うような物を(もし欲しいと思うなら、その物を)望み通り与えよう。」と約束して
「ん(む)+名詞」で、「仮定・婉曲」。仮定・婉曲どちらでも訳すことができる。
「此の皮衣は、火に焼かむに、焼けずは真ならめと思ひて、人の言ふ事にも負けめ。《竹取》
この火鼠の皮衣は、火で焼くような時に(もし火で焼くとして・火で焼いてみて)、焼けなければ本物だろうと思って、あの方の言うことに従おう。
「むに」で、「仮定・婉曲」になる例。「に」は格助詞。「焼かむ《時・場合》に」と言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
女の申さく、「我 后と成らむに、限り無き喜びなりといへども、《今昔》
女が(帝に)申し上げるには、「私が后となるような時には(もし后となるとしたら、その時には)それはこの上ない喜びではありますけれども
「むに」で、「仮定・婉曲」になる例。「に」は格助詞。「成らむ《時・場合》に」と言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
腕をば捻ぢて腹胸を踏まんに、己は生きてんや。《宇治拾遺》
お前の腕をねじって踏むような時に(もし踏むとしたら、その時に)、お前は生きていられようか、いや生きていられまい。
「ん(む)に」の形で「仮定・婉曲」になる例。「も」は係助詞。「踏まん《時・場合》に」と言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
し出ださむを待ちて寝ざらむも悪かりなむ、と思ひて《宇治拾遺》
僧たちがぼたもちを作り上げるのを待っていて寝ないような場合も(もし寝ないとしたら、その場合も、寝ないようなことも)きっと具合が悪いだろう、と少年は思って(寝たふりをすることにした)。
「むも」の形で「仮定・婉曲」になる例。「も」は係助詞。「寝ざらむ《時・場合・こと》も」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
僧の「物申し候はん。 驚かせ給へ。」と言ふを、嬉しとは思へども、只一度に答へんも、 待ちけるかともぞ思ふとて、《宇治拾遺》
僧が「もしもし、ぼたもち作ったから起きて下さい。」と言うのを、少年はうれしいと思うけれども、たった一回で返事するような時も(もし返事したら、その時も)、寝たふりで待っていたかと思われるのが困るので、
「ん(む)も」の形で「仮定・婉曲」になる例。「も」は係助詞。「答へむ《時・場合》も」と言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
厭はしげに言はんもわろし。《徒然》
(来客があった時に、)わずらわしそうに会話するようなことも(もし会話するなら、それも)よくない。
「ん(む)も」の形で「仮定・婉曲」になる例。「も」は係助詞。「言はん《時・場合・こと》も」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
義景、「皆を張り替へ候はむは、遙かに容易く候ふべし。まだらに候ふも見苦しくや。」と《徒然》
(明かり障子の破れた箇所だけ紙を張る妹を見て、)兄の義景が、「全部を張り替えますような時は(全部をもし張り替えますならば、その時は)、ずっと簡単でしょう。まだらになりますのも見苦しいかと。」と
「むは」の形で「仮定・婉曲」になる例。「は」は係助詞。「張り替へ候はむ《時・場合・こと》は」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
切りぬべき人無くは、給べ。切らむ。」と言ひたらんは、猶良かりなむ。何でふ百日の鯉を切らむぞ。《徒然》
他にその鯉を切ることのできる人がいないなら、私に下さい。私が切ろう。」と言ったような時は(もし言うとしたら、その時は)、さらに良いだろう。どうして百日鯉を切っているなどと言う必要があろうか。
「ん(む)は」の形で「仮定・婉曲」になる例。「は」は係助詞。「言ひたらん《時・場合》は」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
銭有れども用ゐざらむは、全く貧者と同じ。《徒然》
金を持っていても使わないような時は(もし使わないなら、その時は)、全く貧者と同じである。
「むは」の形で「仮定・婉曲」になる例。「は」は係助詞。「用ゐざらむ《時・場合》は」と言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
「いとわろき名の、末の世迄有らんこそ、口惜しかなれ。」と言ふ程に《枕》
「たいそう良くない名前が、後世まで残るような時は(もし残るとしたら、その時は)、情けないことだろう。」と言っている時に
「ん(む)こそ」の形で「仮定・婉曲」になる例。「こそ」は係助詞。「有らん《時・場合・こと》こそ」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかんめれ。《徒然》
女というものは、髪が美しいような時こそ(髪がもし美しいなら、その時こそ)、人が注目するようだ。
「ん(む)こそ」の形で「仮定・婉曲」になる例。「こそ」は係助詞。「めでたからん《時・場合・こと》こそ」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、口惜しかるべけれ。《徒然》
立派だと思っていた人が、がっかりするような本来の性格を見せるような時こそ(もし見せるなら、その時こそ)、残念であるに違いない。
「んこそ」の形で「仮定・婉曲」になる例。「こそ」は係助詞。「見えん《時・場合・こと》こそ」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
親にも君にも、総てうち語らふ人にも、人に思はれむばかり、めでたき事はあらじ。《枕》
親であろうと、主君であろうと、普段仲の良い人であろうと、とにかく誰か人に愛されるような時ほど(もし愛されるなら、その時ほど)、すばらしいことはないだろう。
「ばかり」は副助詞。「思はれむ《時・場合・こと》こそ」など言葉を補うと読みやすくなる。仮定・婉曲どちらでも訳せる。
◎「むず」の用例
「…今は帰るべきになりにければ、この月の十五日に、かの本の国より、迎へに人々詣で来むず。《竹取》
「今となってはもう帰らなければならなくなったので、今月の十五日に、あの本国(月)から、私を迎えに人々が参上するだろう。
「むず」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、「む」と同様と考えてよい。
此の事洩れぬる物ならば、我疑はれなんず。《平家》
この計画がもし洩れたとしたら、私はきっと疑われるだろう。
「んず(むず)」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、「む」と同様と考えてよい。「な」は強意(完了)の助動詞「ぬ」の未然形。
我は命みじかき族なり。必ず死なむず。《大鏡》
私は寿命の短い一族である。必ず死ぬだろう。
「むず」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、「む」と同様と考えてよい。
院宣 伺はうに一日が逗留ぞ有らんずる。《平家》
都で後白河法皇の院宣を頂くのに、一日の滞在時間がかかるだろう。
「んず(むず)」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、「む」と同様と考えてよい。ここでは強意の係助詞「ぞ」と係り結びになっていて連体形。
此の児、定めて驚かさんずらんと待ち居たるに、《宇治拾遺》
この児が、(僧たちが自分を)きっと起こすだろうと(寝たふりをして)待っていると
「んず(むず)」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、「む」と同様と考えてよい。「んず」に続く助動詞「らん(らむ)」は一般には現在推量(今ごろ~だろう)だが、この例文のように「むずらむ」の形で使われる場合は、単に推量(~だろう)で訳すとよい。
心に思ふ様、「親の宝買ひに隣の国へ遣りつる銭を亀に換へて止みぬれば、親如何に腹立ち給はんずらん。《宇治拾遺》
子が心に思うことには、「親が宝を買うために私を隣の国に行かせた、その金を亀と交換してしまったので、親はどんなに腹立ちなさるだろう。
「んず(むず)」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、「む」と同様と考えてよい。「んず」に続く助動詞「らん(らむ)」は一般には現在推量(今ごろ~だろう)だが、この例文のように「むずらむ」の形で使われる場合は、単に推量(~だろう)で訳すとよい。
此の殿の父、討たれぬと聞いて、如何許か嘆き給はむずらむ。あはれ助け奉らばや。《平家》
このお方の父は、わが子が討たれたと聞いて、どれほどに嘆きなさるだろう。ああ助け申し上げたいものだ。
「むず」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、「む」と同様と考えてよい。「むず」に続く助動詞「らむ」は一般には現在推量(今ごろ~だろう)だが、この例文のように「むずらむ」の形で使われる場合は、単に推量(~だろう)で訳すとよい。
九条辺りなる人の家に、物へ行かんずる様にて立ち騒ぐ所有り。《宇治拾遺》
九条辺りにある人の家で、どこかへ行こうとする様子で騒がしい所がある。
「んず(むず)」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、この例文では元の形「行かむとする」に置き換えると解釈しやすい。
良き馬を引出して、「異物は候はねば、此の馬を御布施には奉り候はんずるなり。」と言ふ。《宇治拾遺》
男がよい馬を引いてきて、「他にこれといった物もございませんので、この馬をあなた様へのお布施として差し上げようと思うのです。」と言う。
「んず(むず)」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、この例文では元の形「奉り候はむとする」と置き換えると解釈しやすい。「なり」は断定の助動詞。
悲しき目を見せしかば、其の答に炙り殺さんずるぞ。」とて、火を山の如く焚きければ《宇治拾遺》
俺をつらい目にあわせたので、その仕返しにあぶり殺そうと思うのだ。」と言って、火を山のように焚いたので
「んず(むず)」は「むとす」(~しようとする)の変化した語で、この例文では元の形「炙り殺さむとする」と置き換えると解釈しやすい。
「敵 既に寄せたるに、方々の手分けをこそせられむずれ。」《保元》
敵が既に攻め寄せてきているので、あちらこちらの手分けをしなさるのがよい。
「むずれ」は強意の係助詞「こそ」と係り結びで已然形。主語は明示されていないが文脈上「あなたは」と二人称主語であり、「む」の場合と同様に「勧誘・適当」で解釈するとうまくいく。またこの例文では「こそ~むずれ」だが、「こそ~め」も「勧誘・適当」でよくある形。
後の御孝養をこそ、良く良くせさせ給はんずれ。《保元》
死後の御供養を、念入りにしなさるのがよい。
「んずれ(むずれ)」は強意の係助詞「こそ」と係り結びになっていて已然形。主語は明示されていないが文脈上「あなたは」と二人称主語であり、「む」の場合と同様に「勧誘・適当」で解釈するとうまくいく。またこの例文では「こそ~んずれ」だが、「こそ~め」も「勧誘・適当」でよくある形。
従者一人失ひてんずる事は損なれども《古今著聞集》
家来を一人失うようなことは(もし失うとしたら、その時は)損であるけれども
「んず(むず)+名詞」で「仮定・婉曲」。仮定・婉曲どちらでも訳すことができる。「て」は強意(完了)の助動詞「つ」の未然形。
いますがりつる志どもを、思ひも知らで、罷りなむずる事の口惜しう侍りけり。《竹取》
私(かぐや姫)にかけて下さった多くの厚情を、身にしみて感謝もしないうちに、(月に)帰ってしまいますようなこと(もし帰りますとしたら、そのこと)が残念でございます。
「むず+名詞」で「仮定・婉曲」。仮定・婉曲どちらでも訳すことができる。「な」は完了(強意)の助動詞「ぬ」の未然形。
「ん」は「む」の音が変化したもの。