古典文法・助動詞
⑦らむ、けむ
◎「現在推量」の用例
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそを負ふ母も吾を待つらむぞ《万葉・雑》
私、憶良はもう(宴席から)退出しよう。家では、今頃子供が泣いているだろう。その子を背負っている母もきっと私を待っているだろうよ。
風吹けば沖つ白波たつ田山夜半にや君がひとり越ゆらむ《伊勢》
風が吹くと沖の白波が立つ、その「たつ」ではないが、あの竜田(たつた)山を夜中にあなたが一人で越えているのだろうか。
「夜半にや」の「や」が疑問の係助詞で、「らむ」は係り結びで連体形となる。
大柑子を、「これ、喉 乾くらん、食べよ。」とて、三つ、いと香ばしき陸奥国紙に包みて…《宇治拾遺》
大きなみかんを、「これを、のどが渇いているだろう、食べなさい。」と言って、三つ、とても香りのよい陸奥国紙に包んで…
文脈的には「らん」で一度文が終わるので終止形。
平家の兵ども、「すはや、源氏の大勢の寄するは。斎藤別当が申しつる様に、定めて搦手も回るらん。《平家》
平家の軍勢は、「さあ、源氏の大軍が攻めてきたぞ。斎藤別当が申していたように、きっと背後にも回っているだろう。
「定めて」は呼応の副詞で、よく「らむ」とセットで用いて「きっと~だろう」。
◎「現在の原因推量」の用例
(1)推量の内容が無く、疑問を表す語がある
御前の庭を掃くとて、「などや苦しき目を見るらむ。《更級》
宮中の庭を掃除しながら、「なぜ苦しい目に遭うのだろうか。
苦しい目に遭っているのは事実であり、「なぜこんなことになるのだろう」と原因を推量している。しかし「こういうことが原因だろう」という推量の具体的な中身は無い。また「などや」と疑問を表す語句はある。「などや」の「や」は疑問の係助詞であり、「らむ」は「や」との係り結びで連体形。
宿りせし花橘も枯れなくになど郭公 声絶えぬらむ《古今・夏》
(ホトトギスが)とまっていた橘の花も枯れてはいないのに、なぜホトトギスの鳴き声が絶えてしまっているのだろうか。
ホトトギスの鳴き声がしないのは事実であり、「なぜだろう」と原因を推量している。しかし「こういうことが原因だろう」という推量の中身は明示されない。また「など」と疑問を表す語があるので文末は連体形になる。よって「らむ」は連体形。
春霞 何 隠すらむ 桜花散る間をだにも見るべきものを《古今・春》
春霞は、(桜の花を)なぜ隠す(隠している)のだろうか。桜の花は、せめて散る間だけでもよく見ようと思うのになあ。
霞が花を隠しているのは事実であり、「なぜ隠すのだろう」と原因理由を推量している。しかし「こういうことが原因だろう」という推量の中身は示されない。そして「何」と疑問を表す語があるので文末は連体形になる。よって「らむ」は連体形。
(2)推量の内容が無く、疑問を表す語も無い
久方の光のどけき春の日に 静心無く花の散るらむ《古今・春》
こんなに日の光がのどかな春の日に、なぜ落ち着いた心も無く(急いで)桜の花は散っているのだろうか。
桜が散っているのは事実であり、「なぜ散り急ぐのだろう」と原因を推量している。しかし「なぜ」に当る語は無く、補って解釈する。また「こういう理由だろう」という推量の中身も示されない。
春の色の至り至らぬ里は有らじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ《古今・春》
春の気配がやってくる里、やってこない里という区別はあるまい。(それなのに)なぜ咲いている花と咲かない花が見えるのだろうか。
咲いている花とそうでない花が見えるのは事実であり、「なぜそうなるのだろう」と原因を推量している。「なぜ」に当る語が原文に無く、補って解釈する。また「こういう理由だろう」という推量の中身も示されていない。
(3)推量の内容がある
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐と言ふらむ《古今・秋》
吹くとすぐに秋の草木がしおれてしまうので、なるほどだから山から吹きおろす風を「荒らし」と言うし嵐と書くのだろう。
「山風を嵐と言ふ」のは事実であり、その原因理由を「吹くからに~しをるれば」と推量している。つまり推量の中身が明示されている。
久方の月の桂も秋は猶紅葉すればや照り勝るらむ《古今・秋》
月に生えるという桂の木も秋にはやはり紅葉するので、月が一層輝いているのだろうか。
月が「照り勝る」のは事実であり、その原因を「月の桂が紅葉するからだろう」と推量している。つまり推量した内容が明示されている。また上に疑問の係助詞「や」があり、「らむ」は係り結びで連体形。
あはれてふ事を数多に遣らじとや 春に遅れて独り咲くらむ《古今・夏》
「ああすばらしい」という賞賛を他の花々にやるまいということで、(この桜は)春が過ぎて一本だけ咲いているのだろうか。
桜が「独り咲く」のは事実であり、その理由を「その桜がこう考えたからだろう」と推量している。つまり推量の内容が明示されている。また疑問の係助詞「や」があり、文末の「けむ」は係り結びで連体形。
◎「現在の伝聞・婉曲」の用例
鳥は、異所の物なれど鸚鵡いとあはれなり。人の言ふらむ事をまねぶらむよ。《枕》
鳥については、異国のものだけれども、オウムがたいそうけなげな鳥である。 人が言うようなことを真似するそうだよ。
「言ふらむ事」は「らむ+名詞」で婉曲になる例。
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若ういとあはれなり。《枕》
山鳥は仲間を恋しがって鳴くが、鏡を見せると 心が休まると聞くが、純真さがたいそう趣深い。
水鳥、鴛鴦いとあはれなり。互に居替はりて、羽の上の霜払ふらむ程など。《枕》
水鳥ではオシドリがたいそう趣深い。つがいが互いに居場所を替えて、(相手の)羽の上の霜を払い落とすと聞くが、その時など(霜を払い落とすような時など)。
「らむ+名詞」で伝聞・婉曲になる例。どちらでも訳せる。
惜しむらむ人の心を知らぬ間に秋の時雨と身ぞふりにける《古今・離別》
(私との別れを) 惜しんでくれるという人の気持ちを知らないうちに、秋の通り雨が降るの「ふる」のようにわが身も「古る」つまり年を取ってしまったよ。
「らむ+名詞」で伝聞になる例。ここだけ見れば婉曲にも取れるが、これは「あなたとのお別れが惜しい」という和歌に対する返歌であり、その文脈から伝聞で解釈するのがよい。
◎「過去推量」の用例
五年六年のうちに、 千年や過ぎにけん、 片方は無くなりにけり。《土佐》
(家を不在にした)五、六年のうちに千年が過ぎたのだろうか、一部(の庭の松)は無くなっていた。
疑問の係助詞「や」があるので、文末の「らむ」は係り結びで連体形。
斯かる目見むとは思はざりけむ。」など、あはれがる。《枕》
この様な(つらい)目に遭うとは思わなかっただろう。」などと、(その犬を)気の毒に思う。
過去推量の基本的な形。
徳大寺にも如何なる故か侍りけむ。《徒然》
徳大寺の大臣の場合にも、どういう理由があったのでしょうか。
「如何なる」と疑問を表す語があり、文末「けむ」は連体形。
見渡せば山もと霞む水無瀬川 夕べは秋と何思ひけむ《新古今・春》
遠く見渡すと、山すそが霞んでいて、その辺りを水無瀬川が流れている。夕暮れの景色は秋がまさっているなどと、どうして思ったのだろうか。
「何」と疑問を表す語があるので、文末「けむ」は連体形。
露をなど徒なる物と思ひけむ我が身も草に置かぬ許を《古今・哀傷》
露をなぜ、はかない物と思ったのだろうか。私自身も、草に置かないだけで露と同じ位はかない命であったよ。
「など」と疑問を表す語があるので、文末「けむ」は連体形。
◎「過去の伝聞・婉曲」の用例
海は少し遠けれど、行平の中納言の関吹き越ゆると言ひけん浦波、夜々は実にいと近く聞こえて、《源氏・須磨》
海は少し遠いけれども、その昔、行平の中納言が関所を吹き越えてくると言ったという 岸に打ち寄せる波が、夜ごとにたいそう近くに聞こえて、
在原行平(ありわらのゆきひら)は源氏物語より百年前の昔の人なので、直接言葉を聞いたのではなく「と言ったそうだ」という「伝聞」になっている。
増賀聖の言ひけむ様に、名聞苦しく、仏の御教へに違ふらむとぞ覚ゆる。《徒然》
(権威をかさに威張る僧は、)増賀聖(僧名)が言ったとかいう様に、名誉名声を求め過ぎて見苦しく、仏の教えに背いているだろうと思われる。
「けむ+名詞(ここでは「様」)で「伝聞・婉曲」の形。増賀聖は徒然草の作者兼好法師より数百年昔の人で、直接言葉を聞いたのではなく、そう語ったそうだ、と伝え聞いているので「伝聞」がよい。
尚わ翁の年こそ聞かまほしけれ。生まれけむ年は知りたりや。《大鏡》
やはりあなたの年齢を聞きたいものだ。生まれたような年は覚えているか。
「けむ+名詞」で「伝聞・婉曲」の形。ここでは婉曲がよい。
基本的な現在推量。「らむ」で句切れなので終止形。